粕谷浩子プロフィール

粕谷浩子

はじめまして。粕谷浩子です。
自己紹介をしようと思うと、あまりにも自分がとっちらかっていて、
肩書も曖昧だし、居住地も転々としていてるし、何をしている…の説明もしにくいし、なんとまぁ「わやくちゃ」な人生でしょう。

目次

プロフィール

【名前】 粕谷浩子(かすやひろこ)
【生年月日】 1972年5月9日 51歳
【出身地】 香川県善通寺市
  でも育った場所は転々としていて、父が転勤族だったので、鳥取県、北海道 札幌市函館市、
静岡県、埼玉県、新潟県…と色んな場所で幼少期を過ごしています。
【趣味・特技】今は、おばあちゃんナンパ、バスの中でもお風呂でも、どんなトコでもおしゃべりします
地味に長く続いているのは、読書。この10年くらいは老眼でぐぐっと読書量が減りましたが、
 40歳くらいまでは1日1冊ペースで物語ばかり読んでプライベート時間を過ごしていました。
【職業】 コレが一番、説明しにくいのですが、お雑煮研究家でもあり、なんじゃこりゃハンターでも
あり、コンサルタントでもあり…自分でもよくわかりません。
  仕事にはあまり長期展望がなく、意識して「流されていく」ことを志向してます。(基本頑固なんで、
  興味のないことにはどーせ流されもしないんで)
  その時出会ったものから始まっていく方式で、職業そのものはどーでもいいや、な感じですw
【出版物】 『地元に行って、作って、食べた日本全国お雑煮レシピ(池田書店)』
   『お雑煮マニアックス(プレジデント社)』『青パパイヤのレシピ(池田書店)』

【出演メディア】 お雑煮に関しては、毎年年末年始にはアレコレ出ています。
  「マツコの知らない世界」「THE TIME」「グッドモーニング」等多数。

今の粕谷の暮らしぶり

粕谷浩子

今の粕谷は、根無し草みたいに、住むところも転々、オシゴトも転々。
「雑煮調査のため」なんて言ってはいるけど、
ホントのとこ、こういう暮らし方が快適だからなのかもしれないww

もともと、粕谷は幼少期から父親の仕事の関係で全国各地で育ってきました。
その過程で、ご当地雑煮の多様性も身近で知ることになったんですけどね。
ま、そういうわけで、自分が住む場所やら家やらに執着がなく、見知らぬ土地に単身飛び込むことにも、あまり抵抗がない方なのかな、と思います。

今は、以前のような雑煮レトルトのメーカー機能をやめちゃったので、移動も自由にできるようになったので、
東京を拠点にする必要がなくなり、2020年には福岡県筑紫野市に住まいを移して、そこを拠点に九州中ぐるぐる回って雑煮調べを始めました。福岡の後は、関西・北陸だな!と滋賀県長浜市に住まいを移動。特に餅のカタチが四角と丸の切り替わりどころの関ケ原近くに住みたかったんですよね。
そして、今は東北の山形市に在住。今年の4月には、更に北上して北海道に住まいを変える予定です。

住まいを転々とし始めた当初は、雑煮調べ以外の目的はなかったんですけど、色んな場所を巡っていると、やっぱり面白いものに出会っちまうものです。九州に住まいを変えた当初は、ちっとも考えてもいなかった『青パパイヤのレシピ』なんていう本を出すようなことが起こっちゃうんですよね。コレは熊本県玉名で青パパイヤ農家さんに出会ったところから始まったお話で、そんな出会いが次々と起こっていくものなんですよ。全国でお雑煮の話を聴くナンバを繰り返していく「副産物」ってヤツですね。各地で「なんじゃこりゃ~!」と叫びたくなるステキな出会いがあるわけです。

粕谷浩子

全国転々としていたら、そりゃあ、面白いモノにも出会っちまいますよねぇ。

あぁ、日本の郷土文化って面白い。ステキななんじゃこりゃが溢れてる。これからもどんどんなんじゃこりゃに出会いたい。こんな面白いもの知ってるよ!という方、是非粕谷に教えてくださいませ!

先のことはわからないけれど、もうちょっとこんな好奇心と共に暮らす生活を続けてみようかな、と思っている今現在の粕谷です。

粕谷浩子

「プロフィール」欄ですけど、以下は、ダラダラ書き綴ってるだけなので、たいしたプロフィールではなく雑文だから、単に粕谷のプロフィールを知りたいヒトは読む必要ない内容ですよ(笑)

粕谷のこれまで

ちびっこ時代

子供の頃から、本ばかり読んでました。

いわゆる文学少女。絵本の記憶はあまりないのだけど(きっと弟二人がいて忙しかった母は絵本を読み聞かす時間があまりなかったのかも(笑)。6歳まではテレビばかり見ていたそうですwww)、7歳の誕生日プレゼントにもらった「ヘレンケラー」と「エレン物語」でモジの世界にハマり込んでしまい、以来、ちびっこの粕谷は、モジから広がるひとりの世界に夢中になってしまいました。飽きもせず、毎日毎日物語が私の世界の一部になっていました。

・・・というと、夢見がちな少女ちっくでインドアな幼少期を過ごしていたようですが、ちっともそんな感じでもなく、「秘密基地づくりだ!」とか木に登って遊んだり、小学生時代はバレーボールの全国大会出場とか、飛んだり跳ねたりのオテンバ女子でした。中学時代は、上越で中三の一学期の夏まで過ごしましたが、そこでは陸上部。
高校は東京都内の都立高校 石神井高校では、男子の中で紅一点で柔道部に所属してました。(途中でバセドウ氏病で運動が出来なくなって辞めちゃいましたが。)

こんな具合で、昼間は目いっぱい体育会系な女子でしたが、毎日欠かさず物語を一冊読みあげるまでは眠らない・・・というような、どう言えば良いのでしょ?生活の一部に「物語を読む時間」があって、その時間は欠かすことが出来ないような、キチガイじみた読書癖がある30年間が今の私にしちゃったんだろーなーと思ってます。

父が転勤族でしたから、子供時代は転校がとても多くて、2年~3年ごとにお引越し、当然ながら仲良くなった同級生ともバイバイを繰り返していたわけですが、私はどこか淡々としたところがあって、環境が変わっても常に自分以外の物語が一体化している私には、さよならではなく「続き」があるような、不思議な感覚があったみたいです(笑)
今も住む場所を変えることに抵抗が全くないのは、子供時代からずっとこんな生活を送ってきたからなのかな、と思います。

流れ流れて、の社会人生活 よくわからないキャリア

一回目の大学卒業後の新卒入社した会社は、ロイヤルコスモという訪問販売会社でした。
一年浪人してるので、1996年4月のことです。
実は、当時、私はまだ就職したくなくて、東南アジアのタイに恋焦がれてました。大学時代にタイにハマり込んでいて、この暑くてダラッとしながらも、Tシャツすらアイロンをぴしっとかけるような不思議なアンバランスな感覚のお国柄 タイで生活をしたい・・・と、どうにか日本から出れる方法はないか、と考えていました。

そうやってダラダラと就職しない方法を考えていたものの、当時はバブル崩壊後の超就職氷河期。就職活動をしなきゃいけないか・・・と動き始めてみたら、受ける企業にも見事に落とされまくる。あぁ困ったな、と大学の就職課の求人票を見たらそこに、「タイ語堪能な方歓迎」という文字を発見!
私はタイ語堪能では全くなかったけれども、学生時代は、年間の1/4はタイに行ってアソビまくっていたので、多少はタイ語はわかる。ならばどうか!とハッタリかまして応募してみたのである。

実際のところは、その会社がちょうどタイに現地法人を作ろうとしていた時だった、というだけで、私はちっともタイに関わる仕事は出来なくて思いっきりガッカリしたのだけど、入社だけは出来てしまったのである。
そして、思いがけず、この会社が私には居心地が良い会社だったのである。

当時はジャスコ(イオン)グループではあったけれど、いわゆるマルチ商法の会社だった。マルチ商法、と言葉だけ見ると怪しげではあるけれど、会社としてはなかなか優良な、生真面目な会社だったと今も思う。
そこで、まずは販売員さん向けの販売促進物の制作を担当することになり、毎月発行する広報紙を作るようになった。昇格の記事や、イベント報告、商品説明など基本決まりきった構成の広報紙だったけれど、ちびっこの頃から活字キチガイの私には、こういう編集の仕事が面白かった。そのうち、販社のヒトをクローズアップする訪問取材企画などを始めて、入社時はタイに行けないならどうでもいいや、と思いっきり「腰掛け」気分だった私がシゴトに面白みを感じ始めてしまったのである。

あと、果物の皮むきがとっても上手になった!(笑)
お客さんが多い会社で、女子社員がお茶だしといただきものを配る役をする古い体質の会社だったので、いただきものの果物の皮むきが本当に多かったのである。実家暮らしで、全く料理をすることもなかった、包丁を触ることもなかった私が、果物の皮むきをひたすらやって、そこに情熱を注いでいた粕谷だったのであるww
ついでに言うと、こんなに毎日お茶くみをするならば、自分なりに徹底的にそれを楽しみたくなって、「煎茶」と「紅茶」と「コーヒー」についてカルチャー教室に通いながら勉強を始めた。もともとが活字オンナだから、関連する書籍もどれだけ読んだだろう。日々のお茶くみでそれが活きたとはあんまり思えないけれど(笑)、私には10時と3時のお茶くみ時間が何倍も楽しくなった。そして、今も続いている趣味が、家でのコーヒー抽出タイムなのだけど、確実にきっかけは、この会社員時代。

キャリアの話を書こうとしたのに、果物の皮むきやお茶くみの話って何だ!・・・であるが、私のキャリアは一事が万事こんな具合。出会ったシゴトやヒトから始まる「楽しみ発見」の延長が、キャリアや暮らしぶりに繋がる。イヤだったら、きっと、さっさと辞めて「次、行こ!」となる淡白な性格だけど、「どうせなら楽しもう」が基本で、夢中になったら深堀りするっていう流れなので、流れに立ち向かったり、緩やかな流れを断ち切っているわけでもないのに、進む方向性は決まっていない。意思をもって決めていくタイプではないんだろうなぁ。

中小企業診断士の資格とっちゃった

そんなこんなで、妙に居心地が良かった新卒入社した会社で、たいしたキャリア願望もなく、このままずっと勤め続けていくのかなぁ、「退職する時は、長期旅行したくなったときだな!」と思っていた粕谷が、会社員生活を辞めて、不意に独立開業することになってしまったのです。新卒入社して、4年10か月の頃でした。

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